島根町で観る!「加賀の新潜戸」

加賀の神埼には二つの洞窟があり、加賀港湾の突端に切り開いた海側の洞窟を「新潜戸(しんくけど)」、加賀港から正面に見える陸側の洞窟を「旧潜戸(きゅうくけど)」と呼びます。

長い年月をかけ、断層や浸食によってできた島根半島の景勝「加賀の潜戸」は、大山隠岐国立公園、国指定名勝及び天然記念物に指定されています。

 

古代ロマンをたずねて

新潜戸は三つの入口をもつ高さ40m、長さ200mの海の大洞窟です。

新潜戸の「新」は「神」という意味で、出雲の四大神の一人佐太大神がこの窟(いわや)で誕生したことに由来しており、昔は「神潜戸(かみくけど)」と呼ばれていました。

『出雲国風土記』によると、神代の頃、母神支佐加比売命(きさかひめのみこと)が神埼の暗い窟(いわや)に降り立ち、猿田彦ノ命(さるたひこのみこと)※をお産みになった。

※後の佐太大神(さだのおおがみ)

大神誕生の時、母神が大切にしていた弓矢が波にさらわれ流されてしまい、「失せた弓矢よでてこい」と祈念されると金の弓矢が流れてきました。支佐加比売命はそれを取り上げ「暗き窟かな」と申されて、金の矢を放たれ岩を射通されました。その際、射通された東口から光が射し込み明るく洞内が光り輝いたため、「あゝ、かかやけり」と申されたのが、ここ「加加(かか)」の地名のはじまりで、後に「加賀」と改められたと記されています。

射通した金の矢は勢いあまって沖の島まで射通し穴があき、成長された猿田彦ノ命がこの穴を的に弓の稽古をされたので、この島は的島(まとじま)とよばれています。

神話は今に伝えられており、夏至の頃、的島のあたりから昇る黄金色に輝く朝日の光が一直線に洞内に射し込む様は、まさに「黄金の矢」そのもので、神代を想わせる光景が目の前に広がります。

 
加賀の潜戸へは観光遊覧船で 的島 的島の朝日
     
   
新潜戸、旧潜戸を巡る約50分の船旅。    

[関連リンク]加賀の潜戸コース